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東京地方裁判所 平成10年(特わ)282号 判決

主文

被告人を懲役二年に処する。

この裁判確定の日から四年間右刑の執行を猶予する。

理由

(犯行に至る経緯)

一  被告人は、昭和三八年一二月、東京都千代田区神田小川町〈番地略〉に本店を置き、土木建築設計及び施工請負等の総合建築業(いわゆるゼネコン)を目的とする東海興業株式会社(以下「東海興業」という。)に入社し、その後総務部秘書役、総務部長等を歴任した後、平成九年一月からは常務取締役管理本部副本部長(総務・経理・システム開発担当)の地位にあったもので、この間、専ら同社の株主総会等の総務関係業務や同社の裏方対策的な業務を担当してきたものである。

ところで、東海興業においては、会社役員の女性問題や経営権を巡る対立、株買い占めによる経営危機問題など、株主総会での糾弾や右翼の街頭宣伝活動などに対する対策が必要となる問題が生じた際、いわゆる総会屋に依頼して、これらの問題を処理していた。特に、昭和五八年ころからは、元暴力団組長であった甲野に、これら株主総会対策等を一任するようになり、被告人も、そのころから東海興業側の主たる窓口となって甲野との交渉を担当し、株主総会や問題処理のたびに立替費用などと称して金銭を請求してくる甲野に対し、月ごとに少額に分割するなどして現金を出金し、金銭の供与を続けていた。なお、東海興業では、甲野ら総会屋に交付する金銭や政治資金、工事の発注者に対するバックリベートなどのいわゆる裏金については、かねてから、税務申告上使途秘匿金として扱われる営業雑費名目で処理しており、その出金方法についても、出金要請の稟議書を回すなどといった通常の費用支出の手続を経ることなく、秘書室の責任者たる秘書役が、担当部署や社長らの個別の要請を受け、自らの扱いで伝票を起票して経理部に回付するだけで出金できるという特別な取扱いがとられていた。

二  東海興業は、いわゆるバブル経済の時期に不動産投資等を含めた開発事業を積極的に展開したため、バブル経済の崩壊に伴い、平成五年ころから急激に経営が悪化し、同年末ころまでにメインバンクの北海道拓殖銀行等から総額三五〇億円に及ぶ緊急融資を受けるとともに、経営再建五か年計画を策定し、同銀行から迎えた甲山を代表取締役副社長に据えるなど銀行支援の下に経営の再建を図ろうとしたが、その後も業績は好転しなかった。そこで、甲山は、東海興業再建のためには会社更生手続によるしかないと考え、平成九年五月初めころ、代表取締役社長であった乙野や取締役管理本部副本部長兼経理部長であった乙山と相談の上、会社更生手続開始の申立を行うこととし、申立代理人の弁護士らの指導・助言を得ながら、社内にも極秘裏に、厳選した少数の担当者に更生手続開始の申立準備作業に当たらせ、同年七月四日を申立予定日として準備を進めていった。

三  被告人は、平成九年五月中旬ころ、甲野から、同年一月に開催された東海興業の定時株主総会の総会対策費の立替分として二三〇〇万円を同年八月中旬ころまでに支払うように請求されたことから、同年六月下旬ころ、秘書役であった丙野に対し、甲野に交付する二三〇〇万円の営業雑費が必要になることを伝え、とりあえず同月三〇日起票、同年七月三日を出金日とする五〇〇万円の営業雑費の伝票を起票するように指示をした。一方、経理部長である乙山は、同年七月一日ころ、被告人の指示どおり同月三〇日に起票され、出金処理のために経理部に回付された五〇〇万円の営業雑費の伝票を認めるや、前記のとおり、極秘裏に行われていた更生手続開始申立の準備作業に参加し、同月四日に開始申立を行う予定であることを知っていたことから、更生手続開始申立がなされれば、それ以後は従前のように自由に営業雑費を出金して裏金などに当てることはできなくなると考え、丙野から今後見込まれる営業雑費の出費額について聴取した上、自己の判断で営業雑費として五〇〇〇万円を確保することを決意した。そこで、乙山は、右伝票の営業雑費の金額欄を五〇〇万円から五〇〇〇万円に書き換えるなどして五〇〇〇万円の出金処理を行うとともに、甲山からも了承を得るなどして、更生手続開始申立前における五〇〇〇万円の営業雑費の出金、隠匿を図り、その結果、同月三日午後二時ころ、営業雑費として出金された五〇〇〇万円を、秘書室担当者らを介し、本社九階西館の管理本部総務部秘書室内に設置された営業雑費保管用の金庫の中に保管してこれを隠匿した。

四  被告人は、その直後、丙野から、乙山が営業雑費として五〇〇〇万円を出金してくれた旨聞き及んだことから、乙山に確認したところ、同人からも「丙山さんの役に立てればと思って心中するつもりで出した。」などと聞かされ、営業雑費として五〇〇〇万円が出金されている事実を知るに至った。他方、被告人は、同日午後三時ころ、甲山から、東海興業が会社更生手続開始の申立を翌四日に行う予定であることを知らされて驚くとともに、東海興業の経営が予想外に悪化しており、倒産に至る状態にあることを初めて認識した。

東海興業においては、翌四日、東京地方裁判所に会社更生手続開始の申立を行い、同日中に申立が受理され、同時に財産の保全命令及び保全管理人による管理命令が出されるに至ったが、そのような状況の中、被告人は、甲野に対し、同年一月の株主総会の立替金として請求されている二三〇〇万円に加え、これまでの株主総会対策費用や株買い占め問題を解決した際の費用等として一億五〇〇〇万円が未払いになっていることを想い起こし、更生手続開始の申立がなされた以上は、今後甲野への金銭の支払いが難しくなり、その結果、甲野から、更生手続開始への妨害行為や、更には自分や家族に対する加害行為を受けることにもなりかねないと考え、甲野に対する今後の対応について苦慮した挙げ句、とりあえず秘書室金庫の中に隠匿されている前記五〇〇〇万円の営業雑費の中から甲野に現金を交付するなどして甲野の理解と宥恕を得ようと思うに至った。

(犯罪事実)

被告人は、東海興業株式会社の常務取締役管理本部副本部長であったもの(平成九年七月二五日付けで退任)であるが、同社においては、平成九年七月四日に東京地方裁判所に会社更生手続開始の申立をなし、同年九月一〇日に右更生手続開始決定がなされ、これが同年一〇月一四日に確定したところ、前記五〇〇〇万円の営業雑費の処理を被告人に委ねていた同社代表取締役副社長経営企画本部長兼管理本部長(平成九年七月二五日付けで退任)の甲山及び同社取締役管理本部副本部長兼経理部長(平成九年七月二五日付けで退任し、同日以降管理本部副本部長)の乙山と共謀の上、同社が会社更生手続開始の申立をなすなど倒産状態にあることを認識しながら、甲野の利益を図る目的をもって、同人に対し、

一  同年七月六日、東京都杉並区上荻〈番地略〉野村荻窪ビル地下一階カフェテラスにおいて、被告人が、東海興業本社の秘書室金庫内に隠匿されていた五〇〇〇万円の営業雑費の中から三三〇〇万円を供与し、

二  同月二九日、東京都中央区八重洲〈番地略〉東海興業本社二階役員応接室において、甲山及び被告人が、右五〇〇〇万円の営業雑費の残金のうち三〇〇万円及び東海興業の大阪支店から乙山が捻出してきた簿外金二〇〇万円の合計五〇〇万円を供与し、

三  同日、同所において、被告人が、右五〇〇〇万円の営業雑費の残金のうち一〇〇万円を供与し、

四  同年八月二二日ころ、東京都杉並区荻窪〈番地略〉藤和シティホームズ荻窪駅前〈部屋番号略〉甲野方において、被告人が、右五〇〇〇万円の営業雑費の残金のうち一一〇〇万円を供与し、もって、東海興業の財産を債権者、株主等の不利益に処分した。

(証拠の標目)〈省略〉

なお、検察官は、判示犯罪事実で認定した不利益処分行為のほか、被告人が、東海興業において会社更生手続開始決定を受けるに至ることを予知し、甲山及び乙山と共謀の上、同社の交際費勘定から裏金として五〇〇〇万円を出金して、秘書室の金庫内に隠匿したと主張している。

しかし、会社更生法二九〇条一項一号の詐欺更生罪が成立するためには、主観的要件として、当該会社が倒産に至る状況にあることを認識していることが必要であると解されるところ、前記認定のとおり、被告人は、乙山により秘書室の金庫内に五〇〇〇万円の営業雑費が隠匿された後に、甲山から東海興業が会社更生手続開始の申立を行う予定であることを知らされ、その時点で初めて同社が倒産に至るほどの状況に追い込まれていると認識するに至ったのであるから、被告人については、右五〇〇〇万円の出金、隠匿の段階では、未だ詐欺更生罪の成立要件を充たしていないことは明らかである。また、会社財産隠匿による詐欺更生罪は、隠匿行為が行われれば、その時点で直ちに犯罪が終了するものと解すべきであるから、被告人が営業雑費の隠匿状態をその後放置していた点をもって詐欺更生罪が成立すると解することもできない。

したがって、この部分に関する検察官の主張は採用し難く、前示のとおり認定したものである。

(法令の適用)

被告人の判示所為は、包括して刑法六〇条、会社更生法二九〇条一項一号(判示二、三、四については、さらに刑法六五条一項)に該当するところ、所定刑中懲役刑を選択して、その所定刑期の範囲内で被告人を懲役二年に処し、情状により刑法二五条一項を適用してこの裁判確定の日から四年間右刑の執行を猶予することとする。

(量刑の事情)

本件は、中堅ゼネコンの東海興業株式会社で長年総務関係の仕事に従事し、常務取締役の地位にあった被告人が、経営に行き詰まった同社が会社更生手続開始の申立を行った際、かねてより株主総会対策や会社のトラブル処理を依頼していた総会屋の甲野から、立替費用等の名目で金銭の支払いを要求されていたことから、代表取締役副社長であった甲山及び取締役経理部長であった乙山と共謀の上、営業雑費名目で既に出金隠匿されていた裏金などの中から合計五〇〇〇万円を甲野に供与し、会社財産を会社債権者らの不利益に処分したという事案である。

被告人は、甲野により東海興業の会社更生手続が妨害されることなどを恐れて本件不利益処分に及んだものであるが、その実質は昨今社会問題となっている総会屋に対する利益供与と同視できる上、申立代理人である弁護士の注意を無視して、安易に甲野の要求に応じ現金を供与し続けたのであって、企業として総会屋との癒着を絶つことを強く求められている今日の情勢に鑑みれば、厳しく非難されなければならず、犯行の動機に酌量の余地はない。また、犯行態様も、保全管理人からは犯行が発覚しづらい、使途秘匿金として処理される営業雑費名目で出金、隠匿されていた裏金の中から供与するなど悪質であるばかりでなく、不利益処分の額は五〇〇〇万円という多額に及び、会社債権者や株主等に与えた損害は大きく、更生手続の適正への信頼や、企業自体の健全性に対する信頼を傷つけるなど、本件がもたらした社会的影響にも重大なものがある。その上、甲野自身は、本件発覚後に自殺を遂げており、供与された現金の回収には、現在においても相当な困難を伴う状況にある。

被告人は、東海興業に入社して以来長年にわたって総務部の業務に携わり、会社の裏金の管理・支出を担当するとともに、甲野との折衝の窓口となっていたもので、この間、同人との関係を正常なものとするよう努力した形跡はなく、平成六年以降は同人に対し自らの判断で毎月多額の顧問料を支払うなど、むしろ積極的に同人との関係を深めていたことが窺えるのであって、本件においても、出金、隠匿された五〇〇〇万円を手元に置きつつ、甲野との交渉を一手に引き受け、自己の判断で時期や金額、供与名目を定めて甲野に交付しているなど、本件供与の主導的な役割を担っていたものである。

以上の事情に照らせば、被告人の刑事責任は軽視を許されない。

しかしながら、他方、東海興業においては、古くから裏金の捻出、使用が半ば公然のように行われるとともに、株主総会や会社内外で発生した諸々のトラブルに対し、総会屋らに報酬を支払うなどして安易に対処してきたものであって、このような会社の体質が本件の温床となっていたことは否定できないこと、被告人は、甲野による会社更生手続の妨害等を避けるため本件犯行に及んだものであって、本件により私的な利得は一切得ていないこと、本件犯行には計画性はみられない上、被告人は、営業雑費五〇〇〇万円の隠匿行為自体には関与していないこと、被告人は、本件犯行の重大性を認識して自らの責任を認め、深い反省の姿勢を示すとともに、更生管財人との間で和解を成立させ、自らの手持ち資金から捻出して一〇〇〇万円を既に支払っているほか、追加弁償についても更生管財人や他の関係者と協議をしつつ積極的に行っていく旨約束していること、入社以来三三年余の長期間にわたって東海興業に勤務し、会社のために尽くしてきたこと、本件により相当期間身柄拘束を受けるとともに、再就職先も依願退職するなど社会的な制裁も受けていること、三〇年以上も前の罰金しか前科のないことなど、被告人に有利な事情も多数ある。

そこで、これらの事情を総合考慮した上、主文のとおり、その刑の執行を猶予するのが相当であると判断した。

(裁判長裁判官 小池勝雅 裁判官 伊藤 寿 裁判官 矢野直邦)

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